「プラットフォームとしての行政」?

プラットフォームとしての行政。
どこかで聞いたことのある、そんな言葉がぽんと頭に浮かんできた。
けれどもこの言葉でググっても、書いてあることはなんだかよく分からないから、とりあえず脇に置いておく。

おそらくウェーバーが言ってたのもこんなことだったと思うのだけど、法の支配のもとでの官僚制というのは第一に形式合理性を担保できるようにできていて、
すなわち形式的なチェックを幾重にも重ねることによって、公平性や公正性が歪められることがないようになっていて、
それ自体は公的部門が何かを行うにあたってとても大切なことだと思う。

けれどもこの形式的チェックがあまりにも頑強すぎるゆえに、時代の急速な変化に追いつけていないというのはこれまた頻繁に言われることであって。
さまざまな社会課題に対応すべく、行政活動はどんどんと肥大化していくけれど、その内実はちぐはぐだったりすることも少なくない。現場で本質的に必要とされていること、求められていることを感じ取って、施策に変換する「感度」は、これは経験則であるが、残念ながら低いように思う。これはやはり、行政が形式的なチェックを得意分野とするシステムとして発展してきたこと、この裏返しなのだと思う。
であるからこそ、ではこういった「感度」の高いNPO法人のような民間セクターに「公」部門を一定程度任せてしまおう、そういう発想も出てきた。いわゆる「新しい公共」論というもの。
では、これこそが正解なのか。

自分は、正面切って賛成、とはいえない。
なぜなら「新しい公共」という言葉は、「小さな政府」を標榜する新自由主義的な文脈でしばしば用いられてきたからだ。
新自由主義的立場は、民間セクターが自由に利潤を追求する方が結果的に社会にとって高い効用が得られるとして、行政に対しては「手を出すな、引っ込んでおれ!」と言明する。
しかし、経済学的な視点だけで話を済ませてはいけないはずなのだ。行政には、さまざまな社会問題を解決する責任があるはずだ。たぶん、アマルティア・センが言っているようなことに近い。細かいことは忘れたけど。

だから、相も変わらず行政は社会の諸問題に関わり続けなければならない。その上で、行政と民間セクター、上手い役割分担の方法があるような気がする。その象徴的なイメージの一つが「プラットフォームとしての行政」なのかもしれない。主権者による政治的意思決定に基づく立法と、現場における執行のはざまを上手くつなげる役割。公平性や公正性のチェック機能を果たしつつ、現場で力を発揮する民間セクターを支える役割。現場の声を専門的知見として収集し、政治の場に判断材料として提供する役割…
そんなところなのかどうなのか、具体的な話に落とし込めば落とし込むほどこれが正解なのか自信がなくなってくるけれど。
以上深夜の書きなぐり。