多摩モノレール沿線めぐり ~東大和市編~(下)都民の水源をみる/戦争の爪痕

プラネタリウムオタクっぷりを発揮するのはこれぐらいにして、お次は博物館の2階に行けば、そこは郷土博物館の本筋、東大和市の歴史を学ぶことができます。その内容は(上)でチラホラお見せした通り。

ここで初めて知ったんですが、狭山丘陵の上にある多摩湖、谷あいの集落を水没させて造られた貯水池なんですね。
ダム建設で集団移転、なんてど田舎の山奥の話だと思ってたけど、東京にもそんな事例があったんだ…。

折角なので見に行ってみましょう。
博物館の裏手から登っていくと、ほどなくして森林の中へ。「東大和市立狭山緑地」と書かれた看板があります。そして、多摩湖を周回する道路へと歩みを進める。

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どちらかというと自転車向けのコースだけど、気軽に森林浴しに来れるのはいいね。

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湖を横断する堤防までやってきました。向こう側は埼玉県。

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毒を入れたら都民に甚大な損害を与えられるやつ。
普通にダム湖だなあ。この湖底部分にもかつては人の暮らしがあったのだ。

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多摩川から水を引いていく流れが非常に分かりやすい。
通常なら多摩川そのものにダムを造って水供給を調節するところ、ダム部分だけこの多摩湖(村山貯水池)や狭山湖として独立してるようなイメージかな。

   *   *

埼玉県側に渡るのはまたの機会にして、上北台駅に引き返す。
わりといい時間になってきましたが、東大和市内で行っておきたい所がもう一つあります。

上北台駅からモノレールで立川方面に戻って一駅、桜街道駅で下車。

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森永乳業の工場を横目に進んでいきます。変なモニュメントなのかあれも工場の一部なのか。

辿りついたのは東大和南公園。

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親子連れや犬の散歩で賑わう平和な公園の中に、異彩を放つ建物一棟。

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無数の銃痕の跡。フィリピンの軍事拠点で見たのと同じようなものが、今また目の前にあります。
この建物は旧日立航空機立川工場の変電所。1945年、アメリカ軍の度重なる攻撃により、工場は甚大な被害を被りました。
そうか、ここもまた「軍事拠点」だったんだ。

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無機質な機械が窓から顔を覗かせていました。

昭和初期まで狭山丘陵近辺が主な居住地であったこの地において、今の東大和市駅周辺が新たに発展し始めたのは、1938年にこの日立航空機の工場が建設されたことがきっかけでした。以後、当時の大和村は、多摩地域軍需産業を支える重要拠点としての顔を持つこととなります。

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そして、敗戦後の工場は米軍により利用されることに。1956年から73年の間、この一帯が米軍大和基地であったことを、玉川上水駅前に保存されている石碑から偲ぶことができます。

狭山丘陵のきわの集落を中心とした農村から、日立航空機工場を核とした軍事都市、そして敗戦を経て、高度経済成長期における急速な宅地化。東大和市の歩みを特徴づけるこの3つのフェーズを、今日の散策を通じて辿ってくることができました。
いやはや、ちょっと話がまとまりすぎてて怖い(笑)

玉川上水から西武線で帰途へ。
おもしろかったぞ東大和市

ちなみに、村・町時代はそれぞれ大和村・大和町だったのに、市制施行で突然「東大和」市となったことに疑問を抱いたのですが、市公式HPによれば、東大和市の「東」は東京の「東」だそうです…って方角の「東」としか解釈しないぞ普通!