マニラ旅行記 〔2-2〕日本人、戦跡コレヒドールに立つ(後編)

今度は島の北部にあるビーチへやってきました。

f:id:supremecourt:20180422001222j:plain

ここは1942年の日本侵攻時、当時アメリカ極東陸軍司令官だったマッカーサーが、もはや日本軍の手に落ちる寸前だったコレヒドール島から脱出した場所。
その後マッカーサーはオーストラリアに行き、有名な"I shall return"の演説をすることになります。

f:id:supremecourt:20180422001258j:plain
目と鼻の先に見えるのはバターン半島。例の「死の行進」で知られる地です。火山地形らしい優美な稜線。
どういう場面の話だったかは失念しましたが、泳いで渡った兵士もいたとか。

f:id:supremecourt:20180422001406j:plain

次に来たのは米軍が築いたBattery Way(ウェイ砲台)。相変わらず砲撃の跡がすごい。
歴史的文脈を捨象して、純粋に廃墟としてみても味があります。

f:id:supremecourt:20180422001547j:plain
ここから打った大砲は、海を越えてバターン半島まで届いたそうです。1942年4月、日本軍がコレヒドールに上陸する直前には、米軍が守るコレヒドール島と、日本が占領したバターン半島との間で、海を挟んだ砲撃戦が行われた、とか。

辺りを見渡してみると、砲台は人工の壁や森によって四方を守られたところにあります。当然、目標物なんて見えっこないし、敵も砲台を目視できないから、完全に計算と発射精度の問題になるわけだ。砲術、ってやつ。

f:id:supremecourt:20180422001702j:plain

砲口を覗いてみると、ネジみたいに溝がついている。つるつるじゃあないんだね。弾を回転させてぶっ放すのだろう。

f:id:supremecourt:20180422001727j:plain

米軍の砲台跡はいくつもあります。こちらはBattery Grubbs。

f:id:supremecourt:20180422001814j:plain
ここも先程同様、一段凹んだ位置に砲台があり、敵から直接目視できない構造を取りつつ、海上の敵に向かって砲撃できるようになっているのがよくわかる。

海上には貨物船の姿。マニラの港に出入りするルートにあたります。
いまは国際航路になっているんだそう。

f:id:supremecourt:20180422001920j:plain
こちらはBattery Hearn。日本軍が占領した際、砲台を取り囲んで万歳をしている写真が残っています。

f:id:supremecourt:20180422002039j:plain
これがその写真。(島内の資料館にて見ることができます)
ガイドは言う。「皆さんで"バンザイ"をして写真を撮りましょう!」
バカにされてるようでちょっと不快になるけど、「ただし発音に気をつけましょう。なぜなら、"ボンサイ"になってしまうからです」には笑った。盆栽って通じるのね。

f:id:supremecourt:20180422002126j:plain
こんなに巨大な施設も姿を残しています。
宿舎や病院、教会が朽ちつつも、しかし未だにずらりと立ち並んでいる様は壮観。

f:id:supremecourt:20180422002229j:plain
一旦休憩、ランチタイム!
話を聞くところでは、フィリピンの人は鶏肉が好きみたいです。手前はたぶん「アボド」。
相変わらずご飯はパサパサだけど、お肉は美味しかった!

そしてツアーはいよいよ最後の場所へ。
開けた一帯にはいくつかの施設が並んでいます。

f:id:supremecourt:20180422002336j:plain
Pacific War Memorial。
白いモニュメントとともに、太平洋戦争の各戦闘名が刻まれています。

f:id:supremecourt:20180422002410j:plain
アメリカとフィリピンの友好を称える像。

f:id:supremecourt:20180422002454j:plain
そして、1945年のコレヒドール奪還時に米軍兵士がパラシュートで降り立ったといわれる広場にも、やはりアメリカとフィリピンの国旗が仲良く並んではためいていました。

フィリピンにとって、アメリカと日本は同等にdominatorなのではなかった。明確に日本のみがenemyであった。
コレヒドールで展開される"フィリピン視点"の「史実」を、「アメリカの影響だ!」とか「反日史観だ!」なんて片付けてしまうのは容易です。事実、そういう要素は否めないのかもしれない。歴史は勝者の立場から記述される。
しかし、それで済む話なのだろうか?

「日本人である」とはどういうことか、という問いを、ここまで鋭く突き付けられたことは、未だかつて無かったように思います。
ナショナリズム。知識として、思考の手立てとしては知っていたし、使いこなしていたはずの概念だった。けれどもこの日まで、自分自身、自己のアイデンティティに関わる問題としては、全く真剣に向き合えていなかったことが明白になったのでした。
よい経験をしたと思う。

f:id:supremecourt:20180422002735j:plain
もやもやを抱えながらも、それでも別れゆくコレヒドールの海岸は、至上の美しさを放っていました。

16時頃、マニラ帰着。

(続く)