マニラ旅行記 〔2-1〕日本人、戦跡コレヒドールに立つ(前編)

 旅行記ですが、今回は至って真面目なお話。

 「東南アジア」と聞いた時に、このことを自然と想起する日本人は今時もうあまりいないように思うのですが、70年余り前、東南アジア各地に多数の日本人がいた時期がありました。
 そう、太平洋戦争の時期です。ASEAN諸国の中に、日本軍が進軍しなかった地域は一国たりともありません。そこには確実に日本人がいて、日本との深い関わりがあったのです。
 この事実をもっと噛みしめるべきではないかというのが、例えば大岡昇平『野火』なんかを読むにつれ、徐々に募ってきた思いであり、考えてきたことでした。

 今回、フィリピンに足を向けたのも、1つにはそのことが理由になっています。そういう経緯があるので、旅行2日目にあたる今日のメインは、マニラの沖合いに浮かぶ島、コレヒドール島のツアーへの参加。
 コレヒドール島は、太平洋戦争の戦跡が残っていることで知られる島です。フィリピンの首都マニラは、マニラ湾のいちばん奥まったところに位置していますが、このマニラ湾の湾口にあたるところに浮かんでいるのがコレヒドール島。となれば、首都を攻略・防御するに際し、この地が軍事的にきわめて重要な拠点となることは明白なわけだ。

  後輩は予定があるようなので、5時前に一人起床し、昨日も使った配車アプリ「Uber」で呼んだ車でツアー出発地となる港に向かう。
 フィリピン人の朝は早い。まだ6時にもなっていないというのに、もう渋滞が始まっています。

 受付を済ませ、ツアー参加者を載せた船は8時頃、コレヒドールに向かって出航。
参加者にはもちろん地元のフィリピン人もいますが、コーカソイドの欧米系らしき外国人観光客も多い。日本人については、ネット上のレビューをみる限り一般的には参加者はそう少なくないようですが、この日はおそらく僕含めて2、3人だったと思われます。おそらく、というのは、この後書くとおり、日本人ですと大っぴらに名乗りあうような気分には到底なれなかったから、なのですが。

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フィリピン国旗をはためかせ、快晴の海上を進む。

 船内では、コレヒドール島の歴史を紹介する英語の映像が流れます。
 1898年の米西戦争を期にフィリピンがアメリカの植民地となって以来、コレヒドールはアメリカ陸海軍の要塞でした。転機となるのは1941年12月、太平洋戦争の開戦。真珠湾を攻撃した日本軍は、次いでフィリピンへの侵攻を開始、1942年5月にコレヒドールは日本軍の手に落ちることになります。

 先の戦争における日本の侵略行為について、保守系の論者からは、日本が欧米列強の帝国主義から東南アジアを"解放"した、という主張がなされることがあります(例えばかの日本会議とかね)。僕としては、それはまさにかつて日本が標榜していた「大東亜共栄圏の建設」と同じく欺瞞でしかないと思っています。ただ他方で、欧米列強が悪で、日本が救い主だった、そんなことは言わないけれども、東南アジアの諸民族にとってみれば、欧米列強も日本も""同様に""排斥すべき帝国主義の国であった—つまり、フィリピンにとって、アメリカも日本も同様に敵であった—それぐらいの感覚なら無意識に持っていたのもまた事実。
 …ところが、船内で流れた映像は、ものの見事にその先入観をもぶち壊してきました。そこにあったのは、American&Philippinoが侵略者"Jap"にどう立ち向かったか、という構図。そこには、保守派が描くような、アジアの盟主としての日本という姿は一分たりともありません。

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マニラ港からは約1時間40分の船旅。
コレヒドール島が見えてきました。

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そして、何台かのトラムに分乗し、ツアーが始まります。

 アメリカ・フィリピン連合国軍VS敵・日本、という構図。この構図は、ツアー全体を通して貫き通されることになります。
 このツアー、普段はトラムのうち何台かが英語のガイドで、残り1台だけは日本語のガイド、という形で実施されていることが多いようです。そして、ネット上の旅行記をいくつか覗いてみると分かるように、日本語のツアーではかなり日本人に配慮した説明がなされているようなので、日本を戦いの相手として描写するような説明も聞くことはなかったことでしょう。事実、このツアーで英語と日本語の案内が分けられているのは、なにも言語的な理由だけに依るのではない旨、ガイドははっきり言いました。「argument(論争)を避けるために分けている」と。
 ところが今回は日本人参加者が少ないためか、島でのガイドは全て英語での案内。そこで僕が乗り込んだ2号車のガイドは、日本人は1人も参加してないと思い込んだのか、日本人がいない前提で話を展開していきます。よってそこで展開されたのは、日本人に対する配慮のない、純粋にフィリピン側の視点に基づくお話。そして、数少ない日本人の一人である僕は、どんどんと情けない気分になっていくのでした。「生きて虜囚の辱めを受けず」の精神のもと、コレヒドールでも玉砕を繰り返した皇軍兵士、マニラにおける戦いで現地フィリピン人に対して行われた虐殺行為(これは日本軍に限らないものですが)…。ガイドは、厳しく糾弾するというよりは、むしろ理解不能だとの恐れを含んだ口調で日本軍の蛮行を説明していきます。そしてその感覚は僕にも共感できるものです。玉砕思想や特攻隊という発想は、やはりどう考えても正気の沙汰ではない。ただでさえ旧連合国の人々に囲まれた圧倒的少数派たる日本人の僕は、もう立つ瀬がありませんでした。

 そんな暗澹たる気持ちの中、最初の自由時間があるJapanese Gardenに到着。

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遙か離れた異国の地に、突如として日本語の慰霊が現れる。
連合国の人々が興味を示さない中、一人静かに手を合わせる…。

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日本軍の砲台。
穴ぼこの数が戦闘の激しさを物語っています。

 続いて、島中央部の要塞「マリンタトンネル」へ。
 ここはもともと米軍が築いたものを、1942年に日本軍が占領して利用、45年に再び戦闘の舞台となりました。

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 そして45年の戦闘では、トンネル内で何千人もの日本兵が亡くなりました。米軍を攻撃しようとして行った爆撃がトンネル内に逆噴射しほとんどの兵士が死亡、残された者たちも集団自決した、とか。

 ここでも「光と音のショー」と題して、トンネルの開通から戦争、そしてフィリピンの独立に至る歴史が紹介されます。
 日本に占領されたコレヒドールを奪取し、アメリカ&フィリピンの勝利、で締めくくられる流れは先に述べた通り。

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本坑からまた幾つものトンネルが分岐していて、往時の様子が再現されています。

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西側の入り口。

ツアーは続きます。


(続く)