私的富岳百景

広重の富士は八十五度…ではないが、富士山を見に行くことにした。
名古屋の八畳にこもって依存症の如くタイムラインを眺めていたら、そこには東国へ向かう後輩たちが東海道線の車内から切り取った綺麗な富士。折しも明日は快晴の予報、ちょうど鬱屈した気分が募りつつある時でもあったし、思い切って出かけることに。

名古屋駅7時45分発の豊橋行きで一路東に。
うたた寝を挟みつつ乗り慣れた行路をゆく。

f:id:supremecourt:20180306132515j:plain
初めて富士がその山容を現したのは焼津駅でした。
いいねえ!
電車でも車でも幾度となく行き来したルートだけど、富士山直下からですらろくに見れないことが殆どだから、これだけ遠方から姿を認めたのは初めてかも。
これでまず、天候は狙い通り!

  薩埵峠

電車を降りたのは興津駅。前にも一遍降りたことがあって、その時は駅から西に向かい清見寺と抹茶チーズケーキを堪能したのでした。
今日は東に歩く。旧東海道の興津宿から由比宿に、薩埵(さった)峠を越えて。

由比といえば、知る人ぞ知る交通の難所。薩埵山が海ギリギリまでせり出して行く手を阻むから、国道1号線JR東海道線東名高速道路も、揃い揃って海沿いの僅かな平地を山に縋るように抜けています。
しかもこの海ぎわを交通路として使用可能になったのは、1854年安政の大地震で海岸が隆起してからのこと。それでは江戸時代の旧東海道はどうしていたのかというと、わざわざ山を越えていたのだという。
それが、これから辿る薩埵峠越えの道程にあたるわけ。

f:id:supremecourt:20180306133016j:plain
長らく直進してきた旧東海道は、興津川を越えたところで山に取り付き、にわかに上り坂に。
視界が開けます。海も今日は一段と綺麗。

f:id:supremecourt:20180306133130j:plain
やがて霊園と小さな駐車場に行き着くと、ここからは非舗装路。
下りてきた老夫婦が、親切にもすれ違いざまに「よく見えましたよー!」のひとこと。
"富士見"のスポットまではあと一息のよう。

ハイキングコースのような道を登ってゆく。

f:id:supremecourt:20180306133237j:plain
これが天下の東海道…。
東海道なんて、幾度となくバスや列車で通過してきたのに、その時と受ける感じはまるで違う。江戸時代の移動と現代の移動には、きっと文化や感性の面においても、気の遠くなるほどに広い懸隔がある。

そして、富士が姿を現す。


f:id:supremecourt:20180306133412j:plain

広重が描くのも十二分に納得できる、素晴らしい景色…!
悔いを残さないよう、設定を仔細に弄りながらシャッターを切り続ける。

富士山から連なる山並みを眺めて改めて確認させられる。ああ、富士山って火山なんだなあ。
この緩慢すぎる稜線は、火山地形でしかあり得ない、はず。

f:id:supremecourt:20180306133640j:plain
早咲きの桜が、極上の景色に文字通り花を添えてくれます。
もうすぐ春が来るよ!

f:id:supremecourt:20180306133729j:plain
展望台からもう一枚。
日本の大動脈と、すっくと控える日本一の山。あまりにも使い古された絵かもしれないけれど、それだけレベルが高いからこそ使い古されるのであろう。

富士山を抜きにしても、この峠越えの風景は秀逸です。
沿道には黄橙色が鮮やかなみかんの木々。見下ろせばエメラルド・グリーンの太平洋。

f:id:supremecourt:20180306133911j:plain
f:id:supremecourt:20180306133941j:plain

やがて道は舗装路に戻り、由比の街が見えれば峠の終わり。

f:id:supremecourt:20180306134104j:plain
相変わらず富士が顔を覗かせています。贅沢だなあ。


 富士宮

由比を出た東海道線は、いよいよ富士山の直下の街、その名も富士市へと滑り込んでゆきます。
富士川の橋梁を渡る列車の窓から見えた富士はあまりにも圧倒的な存在感を放っていて、まるでこのあたり一帯に君臨する支配者の装い。

f:id:supremecourt:20180306134416j:plain
富士駅で乗り換えた身延線の車内から。
この角度だと、宝永火口の姿がはっきり分かりますね。

富士宮駅で下車。ここは某宗教団体と関係の深い土地でもあります。もっとも、信仰の対象は山ではなく、池や田んぼみたいだけど。ジョーク。

f:id:supremecourt:20180306134453j:plain
何気ない街並みを睥睨する富士。
もはや片時もその存在を忘却することは不可能であろう。

街にも見どころはあるし、噂の焼きそばも食べたいところだけど、そそくさとバスに乗り継いで先を急ぎます。
きっぷ売り場で買ったのは「富士山西麓バス周遊きっぷ」。そう、富士山の西側を北へ。


 国道139号線

白糸の滝、何某の牧場。万人受けしそうな観光地をバスは快調にスルーしてゆく。
ま、このあたりはいずれゆっくり来ればいいでしょう。東京に住むとなれば。

f:id:supremecourt:20180306134654j:plain
朝霧高原に足を踏み入れると、日本離れした雄大な光景が広がります。枯れた牧草の色がダブるためか、何となく去年行った阿蘇山を彷彿とさせる景色。

20年余り日本で過ごしてきた僕の感覚だと、遮るもののない広大な風景が「日本離れした」と表象されがちなんだけど、阿蘇も富士も火山なわけで、でもって日本ほどの火山大国は世界でも珍しいわけで、としたらそれはむしろ日本らしい風景のはずなんだけれど、この転倒はなぜだろう。


 精進湖

静寂の湖畔、バス停に取り残された一人。
ここが今日の最終目的地、富士五湖の一つ、精進湖

f:id:supremecourt:20180306134818j:plain
「子持ち富士」と呼ばれる展望です。

しかし、ここまで静かな場所だとは思わなかった。いくつかのホテルや旅館が営業しているだけで、土産屋も営業してる食堂もない。
まあほどほどにして切り上げるかとバス停掲示の時刻表を眺めて、軽い違和感。
アレ、乗るはずのバスが、無い……?

改めて手元のスマホを確認する。スクショしておいた時刻表の隅には、H27年改正の文字。
この時刻表、古いのでは…?
まさか、公式HPからダウンロードしたのに…!?
でも、正しいのはバス停のものに決まっている。スマホで経路検索してみると、やはり、お目当てのバスは無いそうな。となれば、18きっぷだけでは、新幹線抜きでは、今日中に名古屋に帰れません。

でも、実はそれはそれでちょっと嬉しかった。もう少し外で羽を伸ばすのも悪くない。
横浜に泊まろう。当てはある。

静寂の湖畔、三脚を立てて時を待つカメラマンが2,3人。
太平洋岸での小春日和は、ここではどこ吹く風、ただただ冬の冷気に凍える。
もしかしたら、これから富士が夕日に染まってゆくのかもしれない。「赤富士」ってやつ。生憎、日没までは流石に居られないけれど。

f:id:supremecourt:20180306134928j:plain
でも、先程よりは少し、赤みを帯びてきている気も。

16時45分、河口湖行のバスで湖を離れます。
車内の暖かさにほっとする。

f:id:supremecourt:20180306135004j:plain
日没前の富士山はモノトーンで、一言で言えば「イケメン」な顔つきにみえます。
場所次第で、時時刻刻と、表情を変える富士。"富士見"はかくも面白い。

f:id:supremecourt:20180306135047j:plain
あ、河口湖駅からの富士急行は初乗車でした。
山手線でも走っていた通勤車両205系の床を木張りにし、少しモケットのデザインに遊び心を含ませたところで、ちぐはぐな印象は拭えまい…。


 田子の浦

翌3日、東海道線を下って帰路につきます。
もう当面の富士は堪能し尽くしたつもりで、手持ちの伊坂幸太郎に没頭していたものの、「見て!富士山だよ!」と若い母親が我が子に呼びかけるのにはやはり反応してしまい、後ろを振り返れば、ううん、やっぱり見事な山だ。

次いで、東田子の浦駅への到着アナウンス。とっさに「田子の浦ゆうちいでてみれば真白にそ…」の和歌が脳内をリフレクトする。
バッテリー切れのスマホではGoogle Mapを確認することすらままならないが、確か、海岸はすぐ近くだったはず!
瞬時の判断でホームに降りてしまう。

f:id:supremecourt:20180306135258j:plain
予想は的中、駅からはものの5分も歩けば、そこには広々とした海。
そして、富士の高嶺は…

f:id:supremecourt:20180306135338j:plain
防波堤から見えるには見える。が、よくよく考えてみれば、海と正反対の方向にあるのに、どうやって田子の浦らしい写真を撮ろうというのか。
せめてもの抵抗で防風林と。うん、イマイチだ。

f:id:supremecourt:20180306135423j:plain
むしろ、日常の何でもない風景に溶け込む富士山の方がここでは絵になるようです。
東田子の浦駅前にて。

f:id:supremecourt:20180306135540j:plain
あとは、梅の木と絡めてみたりして。
ちょっと背景がうるさいかな。

結果的に1泊2日となった、私的富嶽百景の旅。
うん、何だかさっぱりしたよ。

☆3月6日にUPしました。