紀伊半島 山と海の旅 〔1-1〕日本一の路線バスで十津川街道をゆく

間もなく幕を閉じる4年間の神戸滞在。
近畿地方の隅々まで足を延ばしてきたつもりだけど、それでも未踏の地というものはある…。

例えば、本州の中でも交通の便が悪い地域として知られる紀伊半島。潮岬こそサークルの合宿で訪れたことはありますが、そこは日本最大の半島とあって、まだまだ触れていない魅力がいくらでも残っているはず。
そこで神戸時代最後の旅行は、2泊3日で紀伊半島を攻めてみることにしました。

2月15日、6時に起きて向かったのは奈良県大和八木駅

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ここから奈良交通が運営する、和歌山県の新宮行のバスに乗りこみます。

ふつう、関西から和歌山に行くとすれば、和歌山市を経て、アドベンチャーワールドで知られる白浜を通過し…と、海沿いのルートを採るはず。
しかし、こんなルートもあるんです。

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奈良県を縦断し、紀伊山地をぶち抜いて太平洋に抜ける…!

今日利用するこのバスのすごいところは、この大和八木・新宮間約167kmを乗り換えなし、かつ高速道路を使わないで(というか使いたくても道路がないんだけど)結んでいること。
こんな長距離を下道のみで走破するバス路線がいまどき珍しい存在なのは、某「路線バスの旅」番組で蛭子さんら一行が四苦八苦している様子をみればお分かりいただけると思います。
そう、この奈良交通「八木新宮線」は、走行距離・運行時間ともに「日本一の長距離路線バス」なのです…!

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終点・新宮までは6時間20分の長丁場。
僕自身は十津川温泉で途中下車する予定ではありますが、それでも4時間以上乗り通すことになります。どんと構えよう。
さすがに座席は市バス仕様のちゃっちいものではなく、背もたれがしっかりあるタイプのものでした。

ほぼ席が埋まるほどの乗客を乗せて、9時15分発車。
山越えが控えているとはいえ、まだここは大和平野の一地方都市。しばらくはいかにも郊外然とした橿原市内を、何の変哲もない市内バスのごとく走ってゆき、すぐに降りてゆく地元の人もちょこちょこ。
やがて大和高田駅を経由して、近鉄御所線と並走して南下。右手には葛城山が堂々たる姿を見せます。いつの間にやら辺りは田園風景ですが、ここらはまだ序の口。

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この路線の肝は五條の街を出てからです。
目前に現れる奥吉野の山々。この中を分け入っていきます。

ここから先の道は、かつて代官所が置かれ、南大和地域の行政の中心であった五條と、奈良県の最南端に位置する十津川村を結ぶ「十津川街道」として知られています。国道でいえば168号線。
そうそう気軽に訪れることもない奈良県の南の端、紀伊半島のど真ん中を貫くこの街道、いったいどんな風景が広がっているのか…。結論を先に言ってしまえば、秘境も秘境、そんじょそこらの田舎とは比べ物にならない田舎、です!

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ま、とはいっても序盤は並みの山道。そこで少し違うものに目を向けてみるのが良いでしょう。
バスが走る国道の上を横切る高架橋、これは高速道路…ではなく、建設途中で放棄された国鉄五新線の遺構です。

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この辺りではトンネルまでもが掘削済み。放置するのも勿体ないので、写真より少し北の城戸まではバス専用道としての利用もされていたのですが、結局そのバス路線も2014年に廃止されてしまいました。

さて、バスはだんだんと高度を上げていきます。天辻峠(790メートル)です。
実はもうこの峠が分水嶺。つまり、峠より南側の川は、太平洋に向かって流れています。ずいぶん手前にあるんだなというのが率直な感想ですが、逆に言えば、分水嶺たる壮健な山並みを超えないと十津川村には辿りつけないということ。
司馬遼太郎街道をゆく」シリーズの『十津川街道』では、十津川に電灯が灯ったのはなんと戦後になってからだったというエピソードが紹介されています。もうこれだけでもどれほどの秘境なのか窺えるはず。

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峠を下ると、眼下に旧大塔村・阪本の集落が見えてきました。
さあ、ここからが十津川街道の本領発揮です!

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凍り付く十津川の水面。山深さもどこか一段と増したような気がします。

現代の十津川街道たる国道168号線は、いわゆる「酷道」として知られています。そもそも村の南端までまともな車道が開通したのが1959年、昭和20年代には五條から十津川まで車で7,8時間かかったという土地、長らくは自動車で行き来できるだけでも有難いという感覚だったのでしょう。

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だから、真新しいコンクリート橋の上を走っていることに気づいた時は驚きました。近年では、奈良県南部を貫く重要な幹線道路であるという観点から、抜本的な改良工事が進んでいるようで。
写真に写っているのは、今年3月に供用開始予定の辻堂バイパスの新開通区間です。

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渓谷にかろうじて張り付くような集落と、峻険な地形をものともせず堂々と空を横切るコンクリート橋の対比が面白い。

こうやって道路改良が急がれるのには、防災対策の意味合いも大きそうです。
2011年には台風12号の影響で「紀伊半島大水害」が発生し、国道168号線は寸断、十津川村は孤立状態に陥ったそうな。
…正直なところ、この水害の記憶がない。そんなに報道されてなかったのでは…?

 

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しかし当地の被害は甚大だったようで、やけに川が砂に覆われてるなと思ったら、バスの運転手さん曰く、先の水害で川底が2mも上昇したとの言。

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そしてこの土砂崩れの跡である。

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かつての国道は土に飲み込まれ、放棄され。

実は十津川流域にはかつてもっと酷い水害がありました。それが1889年の「十津川大水害」。かつて集落があった谷底は、この水害で軒並み埋まってしまったそうです。自然はかくも恐ろしいのか…。
ちなみに、この時家を失った人々が、生活を再建するため北海道に渡り築いたのが「新十津川村」だというのは地理オタクの鉄板ネタかな。

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12時過ぎ、有名な「谷瀬の吊り橋」が見えてきました。
ここで路線バスなのに20分の休憩。観光できるのはありがたい。

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高い…!
平気でゆっらゆっら揺れます。おそらく絶大な吊り橋効果が期待できますが、実践する相手がいません。一人旅の悲しいところです。

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悲しくなるとお腹も空きますね。とりあえず十津川名物だというこんにゃくを食べておきます。
こちら、なんと柚子の入ったゆずこんにゃく。美味しかったけど、空腹にこんにゃくはやや力不足である。

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さらに南へ。ヘリポートが見えます。救急医療用かな。

某「コンクリートから人へ」みたく、いまどき最低限のインフラを揃えるなんて時代じゃないと思ってたけど、こういう自然環境が過酷な土地に来ると、まだまだ公共事業も必要なんだなと痛感させられますね。
この過疎地域にあんなに立派な道路が要るかと思わなくもないけど、他方人命に関わるものをコスパで論じていいのかと言われれば微妙でもある。治水事業も然り。
その是非は別にして、今の十津川はまるで土木分野の見本市だなというのが、実際に訪れてみて得た印象。だから土木系専攻の人とかはドライブするだけでなかなか楽しめると思います(笑

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ある一定のラインからばっさりと木が無くなっていて、最初は何だこれはと驚いたのですが、よく考えてみればダム湖なんですねこれ。
そう、水力発電もまた、十津川村と密接な関わりをもってきました。今後も紹介することになると思いますが、バスの車窓からは電源開発(J-POWER)のダムや発電所が至る所に見受けられます。

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風屋ダムでした。

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ようやっとのことで十津川村役場に至る。村役場とは思えないような立派な建物…!

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で、その役場がある村の中心部の遠景がこれ。

ここまで来てよく分かりました。十津川、ただアクセスが不便という面だけで「秘境」なんじゃない。平地がほんとに無い。こんなに山に閉ざされていて、閉塞感のあまり病まないのだろうかと思うほど。
そんな十津川の秘境っぷりはこの村の歴史にも現れています。十津川は江戸時代においては「天領」、すなわち幕府の直轄領でしたが、伝統的に年貢を免除されていた免税地でもあったそうです。なぜか?米を育てる場所がねえからだよ!!

ここまで面白い土地はなかなかないぞ十津川編、まだまだ続きます!

☆2月26日にUPしました。