故郷への「道草」

 故郷。その言葉は貴方にとってどんな感興を催すだろうか。
 おそらくそれは「うさぎ追いし」と文部省唱歌に歌われるような、単なる郷愁や懐古というような、単純で一面的なものではないはずだ。

 夏目漱石『道草』は、「遠い所」から故郷東京に帰ってきた健三を主人公としている。漱石自身が主人公のモデルとなっていることを考慮すると、ロンドン留学や松山という地方都市での生活を経て、30代に半ばにして生誕の地東京に戻ってきた、そんな状況を想定するとよりイメージしやすいだろうか。
 この作品で一つの中核をなしているのが、主人公の姉や兄といった親類、加えて幼少期に世話をしてもらっていた養父島田との付き合いである。健三は、東京に戻ることにより、かつて自分が属していた故郷という「世界」に再び足を踏み入れた。
 そんな健三にとって、親類たちが作り出す故郷の「世界」は、決して懐かしさ一辺倒で括れるほど小奇麗なものではなかった。

 昔しこの世界に人となった彼は、その後自然の力でこの世界から独り脱け出してしまった。そうして脱け出したまま永く東京の地を踏まなかった。彼は今再びその中へ後戻りをして、久し振に過去の臭を嗅いだ。それは彼に取って、三分の一の懐かしさと、三分のニの厭らしさとを齎す混合物であった。
 彼は又その世界とはまるで関係のない方角を眺めた。すると其所には時々彼の前を横切る若い血と輝いた目を有った青年がいた。彼はその人々の笑いに耳を傾むけた。未来の希望を打ち出す鐘のように朗かなその響が、健三の暗い心を踊らした。
夏目漱石『道草』新潮文庫版、81頁)

 縁を切ったはずの養父島田から金をせびられるという厄介事に直面する健三とは違って、さして親類トラブルもない自分自身としては、故郷の「臭」が、「三分のニの厭らしさ」によって構成されていると言うつもりはない。それでも、この描写は、「故郷」のもつ二面性を的確に言い当てているように思えるのである。
 懐かしいけど、それは牧歌的な、ぬくぬくとした小世界ではない。そこは明確に「過去」であって、素直に割り切れない何かを引きずっている。それは、健三が東京で新たに得た職場(=青年たちが集う学校)という「今」との対比によってより際立つことになる。青年たちの放つ、未来への希望と輝き。それは健三自身の心を踊らせてくれる光でもある。

 故郷は懐かしい。けれどもそこは「過去」であり、それなりの厄介さを抱えてまとわりつく。そうはいっても、やはり自らのルーツとは切り離せない。健三は時折、幼少期の甘美な記憶を否応なしに呼び起こす。それでもそれは、「今」とは峻別されていなければならない。過去から離れたところで、やるべきことがある。
 そう思ってしまうのは、若さゆえなのだろうか?