東濃で木曽川を辿る旅―苗木城と恵那峡と(前編)

突然ですが、日本の城、といえば。
姫路城や熊本城など、荘厳な天守閣を誇るお城がまず頭に浮かびますが、最近では小規模な山城も密かに注目を集めていたりしますね。その代表格が、すっかりメジャーな観光地となった兵庫県竹田城でしょうか。

今回は、その竹田城ほど有名ではないものの、城好きから注目を集めているという岐阜県の山城「苗木城」に行ってみることにしました。
せっかく名古屋にいるからね、東海地方の気になるスポットは行っときたい。

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そんなわけで、期限切れ間近の18きっぷに押印してもらい、千種駅から中央線の電車に乗り込みます。

そこそこに見慣れた景色、特に車窓に注意を払うことも無く1時間を過ごせば、終点の中津川駅に到着。
ここから北恵那交通のバスで10分余り走れば…

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苗木バス停に到着。

ここから苗木城と書かれた看板に沿って歩いていきます。
一見、何の変哲もない住宅街を抜けていくように見えますが、この意味ありげな丁字路、匂うぞ…!

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ただの一本道に見えますか?
やけに古い民家が多い気がする。これはきっと、かつての城下町だ。

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そう勘ぐりながら歩いていると、旧苗木城主である遠山氏が明治になって建てたという住宅跡が現れました。なれば、間違いなくここが城下町だ!

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やがて周囲が街から林へと変わってくると、ありました「苗木城跡」の文字。
とはいっても、この奥に山城があるようにはあまり見えないけど…

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敵の侵入を阻むかのようにジグザグに配置された石垣…城の入り口だ!

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そのまま城内へ。ここが「風吹門」といって、北・東・西の三方向の門からつづく道の結節点にあたる場所といえそうです。

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左を見やれば「大矢倉」。大きな天然の石を組み込みつつも石垣が積み上げられています。これこそが全国の城の中でも珍しい、苗木城ならではの光景!なんだとか。

この界隈は苗木花崗岩という岩の産出地としても知られているようで、そういった地質的な要因が生んだ光景ともいえそうです。

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右を見やれば、天守を戴く本丸。
城郭というより、巨大な岩のかたまりです。

ここを登っていきます。

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石垣のかみ合わせ方が面白いね。

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二の丸の館跡を見下ろす。いつの間にかこんな展望の良いところに来ていたとは。
後方に見えるのは笠置山です。

登城路は、まるで登山道のようにつづら折り。それでも途中には、限りあるスペースを有効活用して、いくつかの門や蔵が設けられていたようです。

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先ほどの大矢倉も眼下に。

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天守の直下まで来ました。

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天守そのものもまた、大きな岩を抱き込むような形で作られていたというから驚きです。
なお、今据え付けられている木組みは、天守の3階部分のみを展望台の形で再現したものだそう。つまり2階の大部分は岩が占拠している形。ずいぶん狭かったんだなということが分かります。

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展望台に上る。見事な眺望!
苗木城は旧苗木藩の領主、遠山氏のお城でした。旧苗木藩はわずか石高1万石という最小規模の藩でしたが、その藩主にしてはずいぶん贅沢な眺めだなあと。

流れる川は木曽川、奥が中津川の市街地です。中津川の街が扇状地上に形成されたというのがよくわかります。

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木曽川に架かる橋は、奥が先ほど路線バスで通ってきた玉蔵橋、そして手前が北恵那鉄道という1978年に廃止された鉄道路線の橋梁です。

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下に戻ってきました。
次は、先ほど登った天守がある岩のかたまり(本丸)よりさらに一段低いところにある外周部分(二の丸)を辿ってみたいと思います。

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先ほど見下ろした二の丸の館跡。
兵どもが夢の跡感。

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石垣の差異が面白い。

本丸の石垣に張り付くごとく、進むにつれ帯状に細長くなってくる二の丸を奥に進みます。

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こちらは「不明門」という門の跡。見た目からして裏口感が強いですが、事実、この門に繋がる道はまだ見つかっていないんだとか。

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鳥居に遭遇。何を祀っているのかと上を見上げると……巨大なハチの巣!!
一瞬ビビりましたが今はハチはいないようです。祀っているのは巣ではなく、写真では見づらいですがごく小さな祠でした。

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こんな裏手にも小屋の類があったようです。

ここを登っていくと、本丸の登城路の途中に合流しました。なるほど、そういう構造なのね。

苗木城を心行くまで満喫したので、帰途につきたいと思います。
うーん、帰りのバスまではまだ余裕があるようだし…
中津川駅まで歩くか!

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バス停や城下町とは反対方向の門はこちら。
道が急に落ち込むさまがオソロシイ。その急勾配ゆえ、"馬が駈けあがる門"から「駈門」と名前が付いたんだろうなあ。

でも、メインの入り口はこっちだったようです。
竹林の中の山道を標高差150m、ひたすら下り、木曽川のほとりに出たところにあった看板の名前は「大手門跡」。
きっと広域移動を木曽川の水運に頼っていたことから、こちらがメインルートとなったのでしょうが、それでも参勤交代の際もこの道を使ったというのは…まさか領主さまを歩かせた訳でも無し、駕籠かきはさぞかし辛い思いをしたことでしょう。

(続く)

☆9月7日にUPしました。