黒光りするあいつを玄関から追い出した話

出かけようと思ったら、玄関でゴキブリがジタバタしていた。
腹を向けて、ひっくり返った状態で、ジタバタしていた。

ゴキブリ=敵。
ゴキブリ=殲滅すべしもの。
当然の命題である。
洗面所や台所で黒光りするそやつを見かけるや否や、反射的に殺虫剤をもって始末にかかる。それが平均的現代人というものだろう。

その当然の命題に従い、僕は玄関のゴキブリを処理することにした。
ただまあ、玄関なので、殺虫剤を使うこともあるまい。
ジタバタするそやつをひと蹴り、ゴキブリを引戸のの外に追いやった。
これにて無事、作戦は完了した。
いまいましい敵を生活圏内から滅失させることに成功したのである。

さて、玄関の外、すなわち屋外に出たゴキブリは、体制を立て直してとことこ歩き出した。
そやつは引戸に沿って歩く。弱っているのか、えらく遅い。いつもの俊足ぶりが嘘のようだ。
ゴキブリはいつまで経っても視界の中にいる。
そのまま物陰に入って動かなくなったが、姿は相変わらず見えているのだ。

はて、これは放置していいものだろうか。

ここで僕は、一種の不思議の感に打たれたのであった。
今まで見かけてきたゴキブリは、すべて命を奪われる宿命にあった。
ゴキブリ=敵。
ゴキブリ=殺さなければならない。
それが自らの身体に埋め込まれた習慣であり公理であった。
だが、どうだろう。今や、僕の身体はそういう風には全く機能しなかったのであった。ゴキブリを始末するという行為が、今この場では、不自然だったのだ。
「あれ、なんで殺す必要があるんだろう…?」

いつもは屋内で、今は屋外だから。
人間は「家」という私的空間を虫にさえ侵されるのをよしとしないから。
ただ単にそれだけのことといえばそれだけのことなのである。

でも、生と死という究極の二項対立が、壁の内側か外側かによって、いや、正確に言えば、その点に拘る人間の精神によって、こんなにもいとも簡単に仕分けられてしまうとは。
そんなところに面白さを感じた次第。